【教訓親の目鑑 浮気者】 【教訓親の目鑑 浮気者】 十図からなるシリーズ物のひとつ。
女性に対する教訓の文章を画中に描き、その長い文章と対比して描かれる半身像の女性は、みな画面の一方によせるか斜め横に描かれ、構図に変化を持たしているのが特徴ですが、この作品だけが女性を画面の中央に配しています。
女性の目線の先には、心の浮わつくことを戒めた長い教訓が書かれています。
団扇を頭のうしろにかざすポーズに派手好みの女性の気質が表され、まさに教訓に適した女性像が描かれています。
うわついた心を戒める長い文章が記されています。
団扇を頭の後ろにかざす派手なポーズが、この女性の気質を物語っているようです。
ニッコリ笑いながら、なにか話しかけている様子です。
喜多川歌麿(きたがわ うたまろ) 宝暦3年(1753)〜文化3年(1806)) 狩野派の町絵師・鳥山石燕に絵を学んだのち、版元・蔦屋重三郎に才能を見出され、精力的に錦絵や狂歌絵本などを手がけるようになりました。
1791年頃から美人画に大首絵を取り入れ、さらに評判の茶屋娘らをモデルとした作品で人気を博し、浮世絵美人画の第一人者への道をのぼりつめていきます。
評判の美人をひと目見ようと、彼女たちの働く店に多くの人が集まるほど、歌麿の描く美人画は世の中に影響を与えていました。
その後、寛政の改革の一環により多くの表現の制約が課せられましたが、屈することのない歌麿は浮世絵の黄金期を支える存在となりました。
1804年、当時禁止されていた豊臣秀吉の絵画化で罰せられ、その二年後に没しました。
歌麿名作拾遺集 喜多川歌麿 歌麿の代表作「高名美人六家撰」の作品をも含む「歌麿名作拾遺集」です。
歌麿は多種多様な作品を残しましたが、言うなればその肩書きは女絵師、あるいは美人画家といわれます。
度々の弾圧や制約にもめげず、果敢に彼の信じるところの女絵を描き続けました。
女性を正面から見つめ、生身の生活ぶり、肉体、心を描く、その洞察力は鋭いものがありました。
歌麿の全作品のうち約三分の一は、吉原と遊女を画題としていますが、町家の母子の情愛や評判の茶屋娘らを描くなどの画域を広めています。
浮世絵美人画の巨峰の上に立つ歌麿の30作品です。